48回目!

2020.9.18 本日の稽古を終わりにします。

 

「声って大事」の話。

 

今回は「声って大事」のお話です。

コロナ禍ですので、大声出すとかではなくて。

空手の稽古中は、「押忍!」とか「セイ!」とか気合を入れます。

 

もちろん、稽古場に入るときも、出る時も。

先生や先輩へのあいさつも。

 

全て声出して行っています。

 

ただ単にあいさつだから声を出しているわけでは無いのです。

「声を出す」=反応する。

つまり、「あなたの話を聞いてますよ」につながる気がします。

 

なので、稽古場で声が出ないというのは本当に寂しいものです。

誰だってレスポンスがなければ、挫けてしまいそうですよね。

 

赤ちゃんは親の反応が乏しいと死期が早まるとも言われます。

ここまでの話ではありませんが、人は相手の反応があってこそ次々と色々な行動を起こすことが出来ます。

 

たかだか声を出す、されど声を出す。なんですよ。

簡単そうに見えて、声を出すって出来る出来ないがくっきり分かれる気がします。

 

声を出せる人って、ずーっと出せるんですよ。

たぶん、普段からあいさつとかも出来るはず。

 

でも、声が出せない人って本当に出てこない。

これ、大人でも多い気がします。

自分はこうして稽古をさせてもらっていますし、勇進会の看板を背負っている以上恥ずかしい真似は出来ません。

「声を出す」ための努力はしています。

 

道場生達は「声が聞こえない!」って発破をかければ、その場の声は出せます。

持続はどうかな?、してない気がします。

 

常々、この「声を出す」を意識してくれる様になるとすごく嬉しいですね。

 

人間は集団生活を営む動物です。

そのため、対人関係を円滑に進める、過ごすためには「声を出す」必要が多分にあります。

一つは円満さを、一つは牽制を、一つは威嚇を、一つは愛情をなどなど、声に出すことで、自分の感情を表現するために使われますよね。

 

護身の意味合いでいえば、「声を出す」事は相手への牽制、自分への鼓舞、周りからの注意を引くなど必要不可欠な要素です。

実際的な意味では、稽古中の「声を出す」は有事の際にちゃんと身体が動くように、声を出せるようにするためが大きいです。

 

そして、対人関係を円滑に進めていくためのあいさつがちゃんと出来る様に。

 

色々ぶれましたが、声が出せるなら、「声を出す」!

空手の稽古の中でも基本中の基本だと考えてますので、これからも言い続けます。

 

出来る人と出来ない人の差は明確ですから。