83回目!

2021.7.14 本日の稽古を終わりにします。

 

「ご一緒に」の話。

 

今回は「ご一緒に」のお話です。

空手の稽古のみならず、昔から「見取り稽古」なるものはありますよね。

「見て盗む」的な。

 

これは古風な考え方かもしれませんが、とても大事な覚える方法です。

自分はこういった考え方好きです。

 

「見取り稽古」は多分、その技術のその人にしか分からない触った時の感覚や印象、感触を伝えきれない場合によく用いられたのではないかと思います。

 

現代ではあまり多用されず、「教える」、「伝える」と言った口頭伝道が主体ですよね。

そのためか、教え方が下手とか、伝わらない、上手く伝えられない、理解してくれないといったすれ違いが多いのでしょう。

 

これは、自分もたくさん経験したことがあります。

同じ言葉でもその言葉の持つ意味の多様性、ニュアンスなど人によって受け取り方は様々です。

 

そのため、自分の内在感覚というか自分を主体とした感覚を頼りに覚える「見取り稽古」ってすごい分かりやすいと思うんですよね。

 

出来ていれば、良し。

 

出来ていなければ、悪し。

そして成り立たない。

 

どちらかというと、知る側、受け手、教えてもらう人が覚えようと、理解しようとする気持ちが大事です。

そして、実行して失敗して、それでも繰り返すトライ&エラーの忍耐力が必要ですね。

 

空手では必ず、「敵」、「相手」を想定して動きます。

この「相手」を常に想定し、その技を磨いていきます。

 

その結果、洗練された美しくも迫力のある魅了的な動きとなります。

 

教わったことを忠実に再現するのは大人だって難しく、子供だって細部までは覚えづらいものです。

 

ですが、肌身に受け感じたものを自分の身体を通じて出すことができるならそれは立派な会得です。

 

後はこの会得を言語化できれば言う事ありません。

 

はぁ、その道は果てしないな...

 

さて、「ご一緒に」とはそういう事です。

 

「見取り稽古」は動きを見て、自分が動くこと。

相手に伝えるなら、自分が動いて見せること。

そして、言葉と共に理解を深めていくこと。

 

これ、どちらも「ご一緒に」です。

教える側も教わる側も。

 

この立場は、いつだって逆転します。

私はほとんどの場面で、山武支部では指導する側ですが、本部では指導を受ける側。

 

山武支部で指導しているようで、子供たちに教わることが多くあります。

空手の事でも「それ以外の事でも」です。

 

持ちつ持たれつ、目的を共有して「ご一緒に」頑張っていきましょう。