567回目!

2025.7.17 本日の稽古を終わりにします。

 

「頑張りどころ」の話。

 

今回は「頑張りどころ」のお話です。

どこが「頑張りどころ」かってなると、それはもちろん稽古中です。

そこだけちゃんと集中してもらいましょう。

 

今日の稽古は通常稽古と組手・ミットコースでした。

 

帯なりって大変です。

 

帯が上がるという事は、出来る事が増えます。

 

出来る事が増えるとそれらのブラッシュアップは欠かせません。

 

前にできたら良いじゃん。では無いのです。

 

前に出来たなら、そこは前提です。

 

その上でさらに磨きをかける必要がありますよね。

 

技を学んでいますので、その技を洗練させていく必要があります。

 

自分の身体で体現する。

 

教えを受け、それを消化し昇華させていく。

 

自分だけの武器にする。

 

そして、その武器をまた次の世代へとつないでいく。

 

自分だけが出来ればいい。という考えもアリです。

 

素晴らしい技を極めたなら、それを残すのもアリですよね。

 

難しいのは重々承知ですけどね。

 

帯が上がるという事は、後輩が居ますからね。

 

先人として伝達していくのも大事な役割です。

 

その意識をいつから持つか?

 

そこにいつ気付けるか?

 

これらも空手を通じて精神面の成長を期待します。

 

教わるだけじゃない。

 

教える事で自分の理解も格段に深まります。

 

そうした中で自分の意識をさらにレベルアップさせてもらいたいですね。

 

こうした動き方は空手だけではなく、個々人の成長として人生にも活かしてもらえたらななんて壮大な期待もしちゃいます。

 

せっかく年齢も環境も違った面々が集まっていますからね。

 

敵じゃなく味方、仲間として居ますから。

 

良い方向に活用してもらえたら何よりです。

 

帯が上がったからやらなきゃいけないではなく、帯が上がることに人格もしっかりと備えていく。ですね。

 

キツイ稽古が増える分それだけの余力を持った人、器のある人ですから。

 

どうどうとその帯に見合った態度、自信を持ってもらいたい。

 

求められるレベルもどんどん高くなりますけどね。

 

そこは通過儀礼です。

 

それを乗り越えて胡坐をかくか、精進するかもその人次第。

 

目指すは精進です。

 

帯はあくまで帯。

 

帯が偉いのではなく、帯を締めるために努力してきたその労力を割き、頑張ってきた人が偉いのですからね。

 

自ら動くのもその一つです。

 

「頑張りどころ」がどこか?

 

稽古中は間違いないでしょう。

 

「頑張りどころ」という事は、休む場所もあるという事です。

 

休憩と休息をうまく使い分けつつ、発揮できると所は発揮する。

 

メリハリですね。

 

次に何するか?考えて行きましょうね。

 

さぁ、次の稽古も頑張りましょう!